おまけ

トラのかみさま、ネコのおうさま

【2】獲り手を捜して

 少し前まで寂しく静まり返っていた虎耳神社の境内は、にわかに活気を帯びていた。

 車座になって座るたくさんのネコたち。
 その中心では、あぐらをかいた桜姫が、うんうんと頷きながら、ネコたちの声に耳を傾けていた。

「あんたたち、いい獲り手の候補を知らない?」

「僕じゃダメ?
 僕、こう見えてもすばしっこいんだよ」

 桜姫のすぐそばにいた、若いトラジマのネコが元気よく声をあげる。

「あっ、お前、ずるいぞ!!
 桜姫さん、こいつより俺の方が高い壁に登れますよ」

 トラジマのネコを押し退けるようにして、体中真っ黒なネコが桜姫の前に歩み出る。

 トラジマより少々年長な風に見えるクロネコは、桜姫にやる気に満ちた瞳を向けている。

「でも、僕の方がたくさんネズミを捕まえられるよ」

「いつ、そんなことが決まったんだよ!」

「あんたたち、いいかげんにおし!
 獲り手はニンゲンに決まってるんだよ。
 ねえ、桜姫さま?」

「そうよっ!」

 おばさんネコの言葉に、ぐいっと胸をはりながら桜姫が頷く。

「それも、わたしの獲り手にふさわしい、最高の人間じゃないとダメよ」

「うーん、そっか……」

「そんじゃ、しょうがないですね……」

 二匹のネコがしょんぼりとうなだれる。

「がっかりしなくていいわよ。
 あんたたちのやる気は気に入ったわっ!」

 そう言うと、桜姫は小さな袋の中に手を入れて、中から一本のニボシを取り出す。

 そしてそれを半分に折ると、桜姫はトラジマとクロネコに手渡した。

「ほら、これをあげるわっ!」

「あ、ありがとうっ」

「ありがとうございます、桜姫さん」

「とっておきのニボシなんだからね。
 よく味わって食べるのよっ!」

「はいっ!!」

 ネコたちの感激した様子に満足げに頷いてから、桜姫はまた顔を上げる。

「で、誰かいい獲り手になりそうな人間は知らないの?」

「じゃあ、私のご主人さまは?」

 上品そうな白いネコが声をあげる。

「ミュウの飼い主はもう歳だからなぁ……。
 ミケのところはどうだ? お前の主人は若いだろ?」

「だめだめ、ウチの太郎さんは運動神経ないもん。
 そうだ、シッポさんのご主人様は?」

「おとついから旅行だよ。置いてった餌の量から見ても、すぐには帰らないだろうな」

 シッポと呼ばれたネコが貫禄のある声を響かせる。
 周りの態度から見て、たぶん彼がここらのボスだろう。

「うーん、困ったわね……。
 いないの? なんかこう、特技をもった人間とか」

「ウチのダンナは、すごく料理がうまいんですけど……。
 ネコご飯とか、もう最高なんですよ!」

「それは関係ないだろ」

「関係ないけど……。
 まあいいわ、今度持ってきなさい」

「そんなんで良いんだったら、うちだって。
 おいらのうちの煮干はすごく美味しいぞ」

「ニボシっ!?」

 その言葉を聞いて、桜姫がピンと耳を尖らせる。

「あ、こいつんち川本商店っていう乾物屋なんですよ。
 飼い主は、ばあさんなんですけどね」

「でも、ニボシはすてがたいわね……。
 宿泊先として考えておくわ」

「桜姫さんなら、いつでも大歓迎です!」

「あ、そうだ、山の上の女の子は?
 優しいし、猫の僕から見てもすごく強いよ」

 最初に獲り手に立候補したトラジマが大きな声をあげる。
 自分でもいい考えだと思ったのだろう、その顔はとても得意げだ。

「なに言ってんだ。
 あの子は竜の神社の巫女さんだろ」

「それに……。
 あの娘は、竜ノ神の獲り手になったって聞いたわよ」

「え、そうだったの?」

「うーん、ますます難しいわね……」

 桜姫が首をかしげると、ネコたちも一斉に首をかしげる。
 あまりに揃いすぎたその様子が、どこか微笑ましい。

「……ま、いいわ。
 獲り手はこれから探すわよ」

「すいません、力になれなくて」

「気にしなくていいわよ。
 わたしくらいになると引く手あまたに決まってるわ」

「もちろんですよ!」

「みんな桜姫さんを待ってたに決まってます!」

 ネコたちが、一斉に声を揃える。

「ふふふっ、そうよね。
 よーし、あんたたちには本当のお祭を見せてあげるわ。
 獣の神を忘れずにいてくれたお礼にね」

 ビシッとポーズを決めて、桜姫が言い放つ。
 尻尾の先まで威厳に溢れたその姿は、まさに神様でしかありえないものだった。

「おお、さすが桜姫さまじゃ」

「かっこいーー」

「しびれるッスよ、桜姫さん」

 わっ、とネコたちの歓声があがる。
 口々に桜姫を誉めそやすネコたちに、桜姫は、ぐぐん、と胸をそらした。

「なんかあったら言ってください」

「オレたちにできることならきょうりょくするッスよ!」

「えへん!
 たのむわよ!」

 桜姫が、後ろに倒れ込みそうな勢いで胸を張る。

「遠慮しないで、ニボシも持ってきなさ―――」

 その、瞬間だった。

「―――!!?」

 突然、桜姫の声が止まる。
 敏感なネコたちも、ほぼ同時にその異常に反応する。

 冷たく、ざらついたような空気が、和やかな場を一瞬にして凍りつかせる。

「なに……?」

 何百の視線が注がれる闇の中。
 ズーン、ズーン……、と低い地鳴りが近づいてくる。

「…………にゃっ!?」

「にゃにゃにゃっ!?」

「あれだ!
 黒くておおきい奴だ!」

「きたぞーーっ!」

「ふ、ふーーーっ!」

 ネコたちの間にざわめきが広がる。

 毛を逆立て、威嚇の構えを取るもの。
 反射的に境内の下に逃げ込むもの。
 桜姫の後ろの隠れるもの。

 ネコたちの反応は様々だ。

 ずーん……。
 ずーん……。

 大きな足音が近づき、地面が揺れる。
 身体中に響くようなその振動に、ネコたちは不安の色を隠せない。

 だが、そんな中、桜姫は静かだった。
 まるで、一人静寂の中に佇んでいるように、鋭い眼光を闇の中に注ぎ続ける。

 ……そして。

 月より伸びた巨大な影が、桜姫の上へと落ちた。

「…………こいつが、黒玉怪獣…………」

 銀の灯りに照らされた岩石のような体表。
 鈍く光る、意思を宿さない目。

 子供の頃から教え聞かされてきた、四方山の悪しき物。
 自分がこれから狩るべき相手―――黒玉怪獣。

 その黒玉怪獣を目の前にして、桜姫の神族の血が騒いだ。

「…………任せなさい……!」

 決意の声を響かせ、一歩前へと進み出る。

 桜姫の瞳に緊張の色が走る。
 だが、そこにあるのは不安や恐怖ではない。

 桜姫の中にあるもの……。
 それは、湧き立つような高揚感だ。

「さあて……」

 黒玉怪獣に向かって構えを取る。
 沈み込む身体に合わせて、金の髪がふわりと泳いだ。

「……おうきさん?」

「わたしの記念すべきデビュー戦、しっかりその目に焼き付けなさい。獣ノ神の強さ、見せてあげるわっ!」

 桜姫の目に、強い光が宿った瞬間。
 沈み込んでいた身体が、一気に跳ね上がった。

「たーーーっ!!!」

 勇ましい咆哮とともに、桜姫が地を蹴る。
 ネコたちの視線が、一斉に空へと上がった。

「桜姫さんっ!」

「いっけー!
 やっちまえおーきさん!」

「かっこいーーーっす!」

 ネコたちの声援を受け、桜姫の身体が宙を舞う。

「いっくわよーーー!!」

 大きな月の光る空。
 白銀の軌跡を残して、桜姫の影が走る。

 それが、桜姫の祭の始まりの瞬間だった。


<本編へ続く>


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